南北アメリカ大陸在住小学生向けのオンライン国語塾をしております、ジョンソン綾です。
現地校に通っていると、家庭では日本語を話していても、日本語での読解力・発信力・思考力・語彙力といった総合的な国語力を伸ばす機会がとても少なくなってしまいます。
のびのび進学塾じょんじょんでは、思考を鍛える授業や効率よく語彙を増やす宿題を通して、子どもたちが楽しみながら、帰国後も一生に渡ってずっと役に立つ国語力を伸ばせるようサポートをしています。
教育現場の経験から学んだこと
「先生になりたい!」そんな希望を、中学生の頃もちました。静岡大学教育学部に入学してからは、個別指導塾、家庭教師、NPO法人の主催する英語塾と、子どもの成長に関わるアルバイトに明け暮れました。大学卒業後は、静岡県の正規採用教諭として、14年半公立小中学校に勤務しました。
アメリカ移住後は、オマハ日本語補習校にて、1年生担任と校長を兼任しております。場所や形態は変われど、かれこれ20年以上、子どもたちの教育に携わり続けています。
(20歳の教育実習にて)
公立小中学校に勤め始めてからは、「どうすれば、子どもの力がもっともっと伸びていくのだろう」という問いを持ち続けました。数え切れないほどの教育書を読み、来る日も来る日も授業での試行錯誤を繰り返してきました。
静岡県教育委員会から依頼され、県独自のカリキュラムを作成したり、100名以上の教員が参観する研究授業を行なったりすることもありました。中核教員として、先生たちの研修を担当したこともありました。
そうした尽きることのない実践の中で、確信したことが二つあります。それは、「型を学ぶことは、飛躍するための手段である」「子どもは自ら伸びる力をもっている」ということです。
1 型を学ぶことは、飛躍するための手段である
「型を学ぶ」と聞くと、昔の私は、なんだか窮屈な思いをしていました。型なんて教えなくても、自分らしい考えを大切にしていけばいいじゃないか。そう考えていました。
日本では、作文の授業のとき「自分の思ったことを書いてごらん。」と声掛けされることが数多くあります。例に漏れず、若い頃は私もそのように話していました。
そのため、要領のいい子どもたちはスラスラと書いてはいましたが、「おもしろかったです」「また〜したいと思いました」と、その子らしさのあまり感じられない文章が多く見られました。一方で、苦手な子は鉛筆が止まり、かろうじて動き出しても話が飛んでしまったり、まとまりのない文章を書いたりしていました。「4行で終わってしまいました〜!」なんて声も、よく耳にしました。
「こんな授業では、子どもたちの力を伸ばすことはできない。」そう考えた私は、読み手にとって分かりやすい文章の型に沿って書くことを、子どもたちに教えました。
すると、もともと文章を書くのが得意だった子たちは、「先生、もっといい言い方ってないかな?」と、より良い表現の仕方を模索するようになりました。苦手だった子たちは、少しずつ筆が進むようになり、「この子は、こんなに深い考えをもっていたのか!」と、その子らしい考えに、読み手である私が気付くようになりました。
型を学んだことで、子どもたちは、より自分らしく生き生きと表現し始めたのです。それを目の当たりにし、型を身に付けようとすることを積み重ねていく中で、自分らしい思いや考え、価値観が際立ち、人に伝えられるようになるのだと、私自身が学びました。
そのため、のびのび進学塾じょんじょんでは、さまざまな型を学び、読解力や発信力(作文)を伸ばすことに重点を置いて授業を行なっています。
2 子どもは自ら伸びる力をもっている
小学校に勤務していた頃、A君という男の子がいました。前担任からの引き継ぎで、彼はおしゃべりが止まらず多動傾向があり、授業も決して意欲的ではないことを聞きました。
新学年が始まり、確かに、彼はおしゃべりや離席しようとすることが多くありました。しかし、よく彼の様子を観察すると、彼は学ぶことに興味がないわけではありませんでした。耳を傾けることとそうでないことを、彼自身が選んでいるように見えました。
そこで、ある長文読解の授業で、彼が考えたくなるように、こちらの質問の仕方を工夫しました。すると、A君が、彼独自の鋭い視点で意見を述べたのです。さらに、それまで挙手をしたことのなかったBさんも、自分の考えたことを皆の前で発表したのです。
二人に触発された他の子たちも、教科書の叙述をより注意深く読み始め、登場人物の気持ちを的確にとらえた上で、自分の考えを伝え始めました。その授業の終わりに自分で考えて書いたまとめは、どの子も、しっかり内容をとらえられていました。
それ以来、A君は、国語に限らずさまざまな授業に興味をもつようになりました。自然と、彼は授業に関係のないおしゃべりは少なくなり、授業内容そのものに集中するようになりました。半年後、授業を見に来た前担任が、「A君はいい意味で目立たなくなった。あんなにやる気のある子だったとは。」と驚いていました。
そして、内気だったBさんも、少しずつ皆の前で発表することが増えていきました。「本当は、私の思ったことを、皆にも聞いてほしい。」そんな彼女の思いが、「恥ずかしい。」「失敗したらどうしよう。」といった不安に勝ったのでしょう。Bさんも、少しずつ自分らしさを出すことに慣れていきました。
私のしたことは、「子どもの心に学びの火を灯すにはどうしたらいいんだろう」と考え、授業をしただけです。国語の授業は、キッカケにはなったかもしれません。けれど、そこから成長することを望み、成長していったのは、A君やBさん、子どもたち本人の意思によるものです。どの子も自ら伸びる力をもっている、そして、己の力を伸ばしたがっている、彼らは私にそう教えてくれました。
(ある子が休み時間に作っていた作品。彼女も自ら考えるようになり、伸びていった子の一人です。)
最後に
「型を学ぶことは、飛躍するための手段である」「子どもは自ら伸びる力をもっている」この二つを心にもち、私は日々の授業を行なっています。
どの子にも、その子らしい個性があり、その子らしい未来の可能性があります。子どもたちが自分らしくのびのびと成長していくのを、私は、国語力という切り口で支えていきたいと思います。
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保有資格
・ 小学校教諭一種免許
・ 中学校教諭一種免許
・ 高等学校教諭一種免許
・ アラン・コーエン認定 ホリスティックライフコーチ
好きな食べ物は、カレーとみかん。
好きなことは、旅と読書、裁縫。